《[日文]人间失格 作者 太宰治》

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[日文]人间失格 作者 太宰治- 第15部分


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たが、ゆるさないのでしょう?)(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる)(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)汝《なんじ》は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣《あくらつ》、古狸《ふるだぬき》性、妖婆《ようば》性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、「冷汗《ひやあせ》、冷汗」と言って笑っただけでした。けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。無口で、笑わず、毎日々々、シゲ子のおもりをしながら、「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の「ノンキ和尚《おしょう》」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけのわからぬヤケクソの睿芜B載漫画やらを、各社の御注文(ぽつりぽつり、シヅ子の社の他からも注文が来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅ子の社よりも、もっと下品な謂わば三流出版社からの注文ばかりでした)に応じ、実に実に陰鬱な気持で、のろのろと、(自分の画の吖Pは、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしいばかりに画いて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド.バアで安くて強い酒を飲み、少し陽気になってアパ趣貛ⅳ辍ⅰ敢姢欷幸姢毪郅伞ⅳ丐螭暑啢颏筏皮い毪亭āⅳ挨稀%违螗蜕肖晤啢稀gは、お前の寝顔からヒントを得たのだ」「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老けになりましてよ。四十男みたい」「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何をくよくよ川端やなあぎいサ」「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」落ちついていて、まるで相手にしません。「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。
  [#ここから2字下げ]してその翌日《あくるひ》も同じ事を繰返して、昨日《きのう》に異《かわ》らぬ慣例《しきたり》に従えばよい。即ち荒っぽい大きな歓楽《よろこび》を避《よ》けてさえいれば、自然また大きな悲哀《かなしみ》もやって来《こ》ないのだ。ゆくてを塞《ふさ》ぐ邪魔な石を蟾蜍《ひきがえる》は廻って通る。[#ここで字下げ終わり]
  上田敏訳のギイ.シャルル.クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。蟾蜍。(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例《しきたり》」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒《すさ》んで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢《じゅばん》やらをこっそり持ち出して伲荬诵肖ⅳ黏蜃鳏盲沏y座で飲み、二晚つづけて外泊して、三日目の晚、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパ趣违伐抛婴尾课荬吻挨蓼抢搐毪取⒅肖椤ⅴ伐抛婴去伐沧婴位嵩挙劋à蓼埂!袱胜肌ⅳ皮蝻嫟啶危俊埂袱袱沥悚螭悉汀ⅳ皮蚝盲秋嫟螭扦い毪韦扦稀ⅳ胜い螭扦工琛¥ⅳ螭蓼辘いい窑趣坤椤ⅳ坤椤ⅰ埂袱いい窑趣稀ⅳ皮蝻嫟啶危俊埂袱饯Δ扦猡胜い堡伞ⅰ埂袱袱沥悚螭稀ⅳ盲取ⅳ婴盲辘工毪铯汀埂袱椁い庵欷胜ぁ¥郅椤ⅳ郅椤⑾浃轱wび出した」「セッカチピンチャンみたいね」「そうねえ」シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを椋Г帷⒆苑证稀ⅳ蓼裤y座に行き、それっきり、そのアパ趣摔蠋ⅳ辘蓼护螭扦筏俊¥饯Δ筏啤⒕颏韦工敖违攻骏螗桑啸ⅳ味Aに自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない[#「人間は決して人間に服従しない」に傍点]、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称《とな》えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を仱暝饯à皮蓼總人、世間の難解は、個人の難解、大洋《オ伐悭蟆筏鲜篱gでなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。高円寺のアパ趣驋韦啤⒕颏违攻骏螗桑啸ⅳ违蕙昆啶恕ⅰ袱铯欷评搐俊工饯欷坤毖预盲啤ⅳ饯欷浅浞帧ⅳ膜蓼暌槐緞儇摛悉蓼盲啤ⅳ饯我工椤⒆苑证下冶─摔猡饯长味Aに泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚《はなは》だ得態《えたい》の知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳《ひゃくにちぜき》の黴菌《ばいきん》が何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭《とくとう》病の黴菌が何十万、省線の吊皮《つりかわ》には疥癬《かいせん》の虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで步くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問睿趣筏皮狻ⅳ蓼长趣嗽嫉

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